世界遺産に登録されたプスコフの古代建築群(写真特集)

Legion Media
  7月7日、ユネスコ世界遺産のリストが拡充された。ロシアのプスコフ市にある古代建築群(「プスコフ建築派の教会群」)を含む6件の文化地区が新たに登録されたのだ。

 ロシア最古の街の一つ、プスコフにあるこの遺産群は、プスコフ建築派によって建てられた教会と聖堂、修道院、要塞塔、行政施設から成る。建築群は、立法体形状、丸屋根、玄関、鐘楼を特徴とし、最も古いものは12世紀にまで遡る。

クレムリンの建築群:至聖三者大聖堂と鐘楼、17世紀、1830年

 ロシアの主導的な建築派の一つであり、15世紀から16世紀に最盛期を迎えたプスコフ建築派は、ビザンツ帝国とノヴゴロドの文化の影響を受けており、その後のロシア建築の発展に貢献した。

大天使ミハイル教会の鐘楼、14世紀

 世界遺産に登録された建造物には、ポクロフスカヤ塔(生神女庇護塔)(15世紀)、プスコフ要塞のグレミャーチャヤ塔(16世紀)、12世紀から15世紀に建立された教会群、12世紀に遡るスパソ・ミロシュスキー修道院の建築群が含まれる。

郊外の要塞建築複合体:ポクロフスカヤ塔(生神女庇護塔)、15世紀

 1917年のボリシェヴィキ革命の間、ロシア全国の多くの教会が破壊されたが、プスコフの建築群の多くは難を逃れた。「革命後に建物がほとんど破壊されなかったという点で、プスコフは幸運だった。

スパソ・ミロシュスキー修道院の建築群の救世主変容大聖堂、12世紀

 ソビエト時代になって閉鎖された教会は二、三堂だけで、大戦中に二、三堂が破壊されたが、それらの教会はほとんどが18世紀に建てられたものだった。古い建物は残った」とロシア人歴史家のタイシア・クルグロワ氏はラジオ・フリー・ヨーロッパ(RFE/RL)に語っている

ポクロヴァ・オト・プロロマ教会(壁穴の生神女庇護教会)、15〜16世紀

 18世紀まで、プスコフは要塞都市として機能していた。古代の要塞施設が大北方戦争(1700-1721)まで使われたのだ。1918年にドイツ軍に9ヶ月占領された後、街はボリシェヴィキの統治下に入り、いくつかの歴史的建造物は略奪を受けた。第二次世界大戦中、プスコフは再びドイツ軍に占領され、この時に街の多くの建物が破壊された

郊外の要塞建築複合体:グレミャーチャヤ塔、16世紀

 被害を免れた建物は全体のおよそ15パーセントだけで、多くの歴史的建造物が損壊した。1945年に戦争が終結すると、ソビエト政権は同市を復元すべき15のロシア古代都市の一つに指定した。

顕現教会と鐘楼、1489年

 プスコフ州当局は、今回のユネスコの決定が州を訪れる外国人観光客の増加につながることを期待している。「我々はこのために努力してきた」と同州のミハイル・ヴェデルニコフ知事は話す。「一方では、[世界遺産登録は]我々が一定の責任を持つことを意味する。建造物の修復作業がより困難になるからだ。しかし他方で、この決定はプスコフの文化的・歴史的地区の独特の価値が認められたことを意味する。その上、観光客が増加する良いきっかけになる。」

ニコルィ・ソ・ウソヒ教会(枯れ沼の聖ニコライ教会)、16世紀

 知事によれば、「プスコフ建築派の教会群」は、プスコフの10の古代建造物から成る。「我々はリストを慎重に作成した。というのもリストが二、三倍の量になる可能性もあったからだ。

古昇天教会、15世紀

 問題は、ユネスコの保護を受ける歴史的建造物を我々が独自に修復することができないという点だ。作業を申請するには複雑な手続きが必要で、かなり制約もある。だから我々は保存状態の良い10の建造物だけを推薦したのだ」と彼は説明する。

ヴァシーリヤ・ナ・ゴールケ教会(丘の聖ワシリー教会)

  「プスコフ建築派の教会群」はロシアで18番目にユネスコ世界遺産に登録された文化遺産となった。ロシアのその他の世界遺産には、クレムリンと赤の広場、キジ・ポゴスト、ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群、ソロヴェツキー諸島の文化的・歴史的遺産群など、有名な歴史的遺産群が含まれる。

ビョーホヴォ村の施生命至聖三者教会(トゥーラ州にあるプスコフ建築派の教会)

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