中二階のある家。アレクサンドル・プーシキンの祖母の屋敷。モスクワ州、ザハロヴォ
Vadim Razumov撮影 すべての屋敷の中心となっているのが地主邸である。この建物は、所有者の収入によって、小さな家に中二階がついたようなものであったり、本物のお屋敷のようなものであったりする。
地主邸の中のつくりは、だいたい、大きな規則に法って造られている。それは住居空間と「祝典用」の部屋を区切るというもの。住居空間には、屋敷の所有者の寝室、子供部屋、親しい人を通す小客間があり、「祝典用」のスペースには、パーティールーム、ダイニングルーム、そして客人を迎え、イベントを行うボールルームまたはホールがあった。
概して、家の建築スタイルとその趣向はロシアの屋敷全体の構造の雰囲気を作る基礎となっていた。
カザンスキー教会、トゥーラ州、ボゴロディツク
Vadim Razumov撮影 1917年の革命以前、ロシア人貴族の世界観の基礎となっていたのが神への信仰であった。領主のほとんどが宗教的な生活を送っており、日曜日や祝日の祈祷に足を運び、精進期を守り、定期的に儀式に通ったり、個人的な宗教上の師を持っていた。また農民の中にも、信仰深い人はいた。そうした状況は農奴解放の以前も以後も変わらなかった。
貴族の屋敷の多くは街から離れた場所にあった。数十キロ離れた教会までお祈りに出かけるのは、貴族一家にとっても農民にとってもきわめて不便であった。
こうした理由からほとんどの貴族が自らの屋敷の中に教会を建てようとした。そこで屋敷は領地内はもちろん周辺の居住区における宗教の中心地となったのである。
19世紀、多くの屋敷内の教会では、農民の子どもたちのための日曜学校が作られた。教養のある貴族によって、誰もが教育を受ける必要があるというリベラルな考え方がこうした形で実現されたのである。
トルストイ家の屋敷の並木道、トゥーラ州、ニコリスコエ・ヴャゼムスコエ
Vadim Razumov撮影 主要な家の周りに風光明媚な庭園がない貴族の屋敷など想像できない。庭園は、時代の流行によって、一般的なもの、つまり幾何学模様で、はっきりとしたデザインに基づき、人が手を入れた部分が強調されているものか、あるいは風景的なもの、つまり人の手で作られたものではあるものの最大限、自然に近い形を残したもののどちらかであったが、ロシアの屋敷ではこれらを融合し、一般的な庭園の中に風景的な部分が取り入れられているというものがもっとも多い。
庭園は屋敷を美しく飾るためだけでなく、所有者にインスピレーションを与えるという役割も果たしていた。ここで所有者たちは休息をとり、重要な決定を下し、毎日の散策を楽しんだ。領主の目を楽しませるために、池や湖、川、滝、噴水などはなくてはならない装飾であった。
レフ・トルストイの屋敷にあるリンゴ園、トゥーラ州、ヤースナヤ・ポリャーナ
Vadim Razumov撮影 屋敷の中にある「緑あふれる場所」は庭園だけではない。普通、屋敷の領地には、果樹園や温室があり、装飾的な意味合いだけでなく、実際的な意味を持っていた。
果樹園は豊富な収穫をもたらし、その果実はパーティや客人向けのテーブルに運ばれたり、貯蔵されただけでなく、売りに出されることもあった。温室で収穫されたものについても同じような状況であった。珍しい植物や花が植えられたほか、客人を驚かせるような一風変わったフルーツが栽培されたりした。
屋敷リュビーモフカの劇場、モスクワ州(チェーホフが一時期住んでいたところで、チェーホフはここで「桜の園」を執筆した)
Vadim Razumov撮影 屋敷はいつでもロシア社会の文化的生活における独特の中心地であった。屋敷の中には、領主の所有する本で作られた巨大な図書館や、プロの劇場にも劣らない農奴劇場などが置かれることもよくあった。
芸術のテーマは屋敷の調度品の中にも表されている。屋敷の調度品や生活用品の中には、古代神話や言い伝え、同時代の文学作品のストーリーを見ることができる。
学者アンドレイ・ボロトフの菜園、トゥーラ州、ドヴォリャニノヴォの屋敷
Vadim Razumov撮影 屋敷はその所有者の趣味を総合的に表わすものであった。もし所有者がなんらかの趣味を持っていた場合、もちろん家の外観にもそれが反映されていた。客間に絵画がたくさん飾ってあれば、所有者が芸術の愛好家であることが分かるし、温室に熱帯地域の植物のコレクションがあれば、熱心なナチュラリストであることが分かるし、また厩舎に品種の違う馬がたくさんいれば、なかなかやり手の騎手であることが分かる。
こうした特徴は、どんな博物館よりも、どんな教科書よりも明確に、屋敷の所有者の性質について物語るものである。
レオンチエフ家の屋敷の四阿、ヤロスラヴリ州、ヴォロニノ
Vadim Razumov撮影 屋敷の魅力はいわゆる小さな建築物によって強調される。四阿、美しい橋、彫刻、大理石の胸像、人工洞窟、装飾が入った石の植木鉢などは建築物と屋敷の庭園部分と韻を踏んだ形となっている。これらの建築物は所有者と訪問客らが、今すぐここでゆっくり過ごし、美しい景色を楽しみたいと思わせるような場所に設置されている。
パトロンで企業家のパヴェル・フォン・デルヴィスの屋敷にある養馬場、リャザン州、スタロジロヴォ
Vadim Razumov撮影 どんな小さな屋敷であっても、そこには大きな調和のとれた領地経営部分がある。冷蔵室、貯蔵庫、キッチン、洗濯室、厩舎、馬車小屋、風車などが、貴族の領地で一般的に見られる経営部分の一式である。
とりわけ冒険心に富んだ貴族たちは屋敷の中、あるいは屋敷のそばにさまざまな工房、ときには立派な工場を置いた。こうすることにより、屋敷の農業で利益をもたらそうとしたのである。
ゴリツィン家の屋敷にある使用人のための離れ、モスクワ州、アルハンゲリスコエ
Vadim Razumov撮影 貴族の屋敷の生活は数十人もの使用人によって支えられていた。19世紀後半は農奴たちであり、それ以降は雇われの使用人であった。
いわゆる「高貴な」仕事とされた、新たなパヴィリオンの建設や資産の管理、貴族の子どもたちの教育に携わった人から、いわゆる「黒い」仕事とされた、家の掃除や厩舎の清掃、動物の世話などを行った人まで、屋敷で働くすべての人は長期的、あるいは永久的に領地に住んだ。
概して、使用人や農奴の居住場所として、離れや特別に作られた「使用人の家」の中に特別な部屋が用意されるか、「管理人の家」、「庭師の家」などそれぞれの役職のための家が建てられた。これらの建物は、どんな屋敷にも必ず見られるものである。
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