もっとも北に位置する茶の栽培地はカフカスにある。2014年冬季オリンピックのアルペンスキーの競技場や同年にソチで開催されたF1ロシアGPのサーキットから車で1時間半の場所だ。しかし、モスクワの南1400キロに位置するロシア最大のリゾート地を訪れる数百万の観光客の中に、このプランテーションまで足を伸ばす人はほとんどいない。というより、暑い気候に適しているお茶がロシアで栽培されているということを知っている人はほとんどいないのである。
タス通信/アルトゥル・レベデフ
亜熱帯の緑に覆われたソチの海岸から、お茶栽培が行われているソロフ・アウル村までは曲がりくねった細い山道が続いている。牛の出没に注意を呼びかける標識は自動車の標識よりも多い。もともと地元の山岳住民たちはずっと畜産業を営んできた。それが変わったのは、1901年に、隣接するグルジアから61歳のイウダ・コシマンが妻のマトリョーナを連れてソロフ・アウル村に来てからだ。
この老夫婦はかつてスフミの茶工場で働いていたが、村の端に小さな家を買い、その周りに畑を作り、リュックサックで自ら運んできた見たこともない植物をそこに植えた。そして3年後、隣近所の住人を誘い、自分で作った茶を振る舞った。
Lori/Legion-Media
現在のソロフ・アウルは7月でさえ頂上が雪に覆われるフィシト山麓の森林にあり、50軒ほどの家が並んでいる。石畳の道の一つを辿って行くと、なまこ板の屋根のついた白い木造の家が見えてくる。家には「コシマンの家博物館」と書かれた板が掛かっている。中に入ると、館長のエレーナ・ザヴィリューハさんが「ここがコシマン夫妻の暮らしていた部屋です」と言って、小さな部屋に案内してくれる。ベッドが2つと木のタンスがやっと入る大きさで、壁には2人の肖像画が飾られている。モジャモジャのあごひげを生やした白髪の男性と白いプラトーク(ほっかむり)をした女性だ。
エレーナさんは隣の部屋へ続くドアを開け、「彼らはここでお茶を作っていたんです」と説明してくれる。部屋の半分にロシア式のペチカが、残りの半分に木のテーブルがあり、その上には揉んで乾燥させた茶葉がひとすくい置かれている。小さな窓からは1901年にコシマン夫妻が植えた庭の茶畑がちょうど見える。2人はこのプランテーションに葬られているのだそうだ。
「これはロシアで最古の茶の木です」とエレーナさんは窓を覗きながら言う。「剪定や追肥など正しく手入れをしてやれば、500年は茶を採ることができます。毎年、収穫があり、博物館では、ここで摘んだ葉でお茶を用意しています」
タス通信/アルトゥル・レベデフ
ロシアで主に飲まれているのは、発酵させた紅茶である。発酵させた紅茶を作るためにはまず新鮮な茶葉を揉む。これは発酵のプロセスを加速化する芯水を表面に揉み出すためだ。エレーナさんは次のように話す。「現在、工場ではこの揉む作業を行うのに特別な機械を使っていますが、20世紀初頭、コシマン夫妻はこれを手作業で行っていたのです。何もつけない手のひらを使ってです。わたしも一度、娘と一緒に試してみようということになって、1キロの茶葉を家に持ち帰り揉んでみましたが、それから1週間手が痛かったです。本当に大変な仕事です」
芯水を揉みだした葉はペチカで軽く火を入れ、その後、軒の上で乾燥させる。イウダ・コシマンはこうして出来上がった茶を背負って、40キロ離れたソチの市場まで山道を歩いていったという。
ロシア通信/ニナ・ゾチナ
ソチの商人たちは、ひげを生やした山の住人がその新鮮な香り高い茶をどうやって手に入れたのか話すのを聞いてせせら笑った。冬にはマイナス10度まで気温が下がる雪だらけのソチの山で熱帯地方の植物が持ちこたえるわけがないと。
またロシア科学アカデミーは、コシマンが送った茶葉のサンプルに対し、「グルジア以北のロシア帝国において茶を栽培するのは不可能だ」として、教育のない農民がたわごとを言うものではないと助言した。コシマンの事業を国家が支援するようになったのはロシア革命後の1920年代になってからのこと。ソロフ・アウルの周辺に茶の大農園が作られ、そこで収穫、加工される茶は1970年代までに年間7000トンにのぼった。ソ連の専門家たちは品種改良を行い、寒さに強い茶を生み出した。
ロシア通信/ニナ・ゾチナ
タス通信/ヴィクトル・ヴェリグジャニン、ヴァディム・コゼヴニコフ
博物館の中のカフェでエレーナさんはまず白い陶器のティーポットを熱湯で温め、そこにひとすくいの金色の葉を入れると銅製のサモワール(ロシア式湯沸かし器)から熱いお湯を注いだ。ロシアのお茶は濃くはなく、原液も明るい色をしている。しかし後味は味わい豊かだ。フルーティな風味、そしてふんわりと花の香りを感じる。
イウダ・コシマンが創立した「ソロフ・アウル茶」社は現在60ヘクタールの大農園を所有している。ロシアにおける茶の栽培が経済危機に見舞われた25年前の数分の一の大きさだ。
Lori/Legion-Media
茶の収穫は雪が溶け出す春に始まる。シーズン開幕を告げるときには、社長がコシマンの墓の脇に植えられた木から最初の葉を摘み取る。そこに茶の季節にだけ雇われる労働者たちが加わり、4月から10月にかけて、数十トンの葉を集めるのである。摘まれた葉は工場で、現在は機械を使って加工している。
ここで生産された紅茶や緑茶は最近まで、ソロフ・アウルで買うか、インターネットで注文するかのどちらかでしか手に入れることができなかった。しかし2年前にようやくスーパーマーケットでも販売されるようになった。
しかしエレーナさんは言う。「でも彼の生まれた場所、コシマンの家で淹れたお茶はお店で買うのとは味が違います」。エレーナさんはソチで大学を卒業し、就職のため故郷ソロフ・アウルに戻ってきた。彼女によれば、毎年、ここを観光に訪れた人の中には、数週間ソロフ・アウルに残って、茶の収穫をしてみようという人が必ずいるそうだ。プランテーションは山の中にあり、いくつかの農園は馬でしか行くことができない。茶の葉はコシマン時代と変わらず、手で摘む。これはロシアのリゾート地で奇跡的に守られてきた本物の技術、生きた伝統なのである。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。