カムチャツカ半島
=アントン・アガルコフブィストリンスキーは、カムチャツカ最大かつ人の少ない自然公園。カムチャツカ中央部のツンドラに暮らし、活動するトナカイ飼育者のおかげで、公園は科学界でよく知られている。ここには活火山も、間欠泉も、巨大な産卵川もないが、ロシアの他の場所や海外では見られないような場所がある。
カムチャツカ半島のど真ん中で降下
タチアナ・モリナ
カムチャツカ地方ブィストリンスキー地区の行政中心地エッソ村で、私たちの活動は始まった。最初の課題は、コズィレフスキー山脈の山の一つで、ブリュッツェ湖へ続く路を探すことだった。5日間、強風に吹かれながら山をのぼり続け、シベリアマツの潅木が生い茂るひどいやぶの中を進み、断崖を降り、クマがいつ出てくるともわからない道を歩いた。
タチアナ・モリナ
コズィレフスキー山脈は、他のカムチャツカの山脈と同様、火山活動によって地中から「押し出されて」いる。海抜1500~2000メートルと、それほど高くないが、周囲の風景ははるか下にある。太平洋岸のクリュチェフスカヤ火山群、オホーツク海に近い中央山脈、そして半島の地理的中心部アナウン火山など、山脈からは、カムチャツカ全体を西から東まで見渡せるような感じがする。
クマ対策にブブゼラ
タチアナ・モリナ
ブリュッツェ湖まで歩いた後、公園の南西域方向へと向きを変えた。ここでは2ヶ月ほぼぶっ続けで歩いた。基地へ戻り、1~2日いて、また歩き始める。イチンスキー火山のまわりの西氷河を越える環状コースをつくり、ケタチャン湖までの道に印をつけ、さらに古代の溶岩流内部の小さなターコイズブルーの湖という新たな観光スポットを開拓した。通信手段はトラッカー、食べ物は穀物と蒸し煮肉の缶詰、方向指示は古いソ連軍の地図、クマに対する防御はサッカーのブブゼラと信号弾発射装置。
ケタチャン域は最寄りの村から120キロ、アガ川の金鉱からわずか16キロのところにある。これは沼、巨大な植物、山のツンドラの国。夏には複数の種類のベリーやキノコがたくさん育つ。最も強い印象の一つは休火山のイチンスキー火山ふもとにある湖までの登りで、湖から脇の北チェルプク火山を登った。北チェルプク火山の噴火口の脇からは、赤緑の無水ツンドラが見える。ここを勢いの強い溶岩流が300年前に流れた。
タチアナ・モリナ
ピカピカした黒曜石の散らばっている小川を見つけたこともあった。サケが飛び跳ねる川で、サケを手でつかまえて、急きょ「晩餐会」を開いたこともあった。急流を渡っていた時に仲間を失いそうになったこともあったし、好奇心旺盛なクマをキャンプからがんばって追い出したこともあった。そして、トナカイ飼育者一家に遭遇したことがあった。トナカイの皮から縫ってつくる特別なテント「チュム」の奥さんに紅茶をふるまわれ、楽しい会話をした。山岳ツンドラで一年中、トナカイ飼育者の成人男性3人、孫6人からなる家族に料理をつくり、暖めている。
タチアナ・モリナ
年少の孫は山を降りて他の人と会ったことがないという。
太平洋岸でワイルドな休息
タチアナ・モリナ
ケタチャンを出てから、監督官の観光グループ受け入れを手伝ってほしいと言われ、公園のクリュチェフスカヤ基地に行った。ここでは好天の日があまりないため、観光客の多くは3年前に噴火した緩斜トルバチク山の噴火口の一部だけを見て、霧のかかった溶岩原につくられたばかりの道を通って、帰ってしまう。私たちは山登りでは晴天に恵まれたので運が良かった。噴気孔、溶岩洞窟、熱い溶岩噴火の末端の方へと歩き、クリュチェフスカヤ山の噴火を間近で見て、スラグ原を通って基地に戻った。この時ようやく、詳細な地図と移動の自由がボランティアの要だということを悟ることができた。
タチアナ・モリナ
ここを去る前、公園の幹部が自由な遊泳を許可してくれた。そしてベラルーシから来ていた女性動物学者の仲間と一緒に、別の観光客の少ない場所ウスチ・カムチャツク村までヒッチハイクした。ウスチ・カムチャツク村の近くには、カムチャツカで最も活発な火山の一つシヴェルチ山がある。この山はしばしば周辺に何トンもの火山灰をまき散らす。それから海岸線を通り、太平洋とベーリング海を結ぶカムチャツキー岬へと進んだ。太平洋岸の狩猟小屋でアザラシ、トド、アシカ、数百匹のズワイガニ、そしておなじみのクマに囲まれながら過ごした3日間は、私のカムチャツカの旅のクライマックスになった。
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