ヴラソフはまさしくヒーローだった。偉大な重量挙げ選手として数々の記録を打ち立て、さらに作家、政治家、そして大統領候補にまでなった。
ユーリー・ガガーリンとウォッカを飲み、フィデル・カストロを(物理的に)持ち上げ、オリンピックでは旗手をつとめた。アーノルド・シュワルツェネッガーも、憧れの人物としてヴラソフの名を挙げている。
伝記映画『伝説の17番』のおかげで、スポーツに全く関心の無い人にも、このソ連のホッケー選手の名が知れ渡った。1970年代のソ連のホッケー熱はたいへんなもので、スペイン系ロシア人のハルラモフ選手を知らない男児はいなかった。
伝説のフォワードは2度のオリンピック金メダル、8度の世界選手権金メダルに輝いた。国内ではCSKAでプレー。ソ連史上最も偉大なホッケー選手の1人である。
長身のヤシチェンコは、ジュニアからシニアまで、走高跳の記録を次々と塗り替えていった。ベリーロールによる跳躍方法としては、最後の世界記録保持者である(現在は用いられない跳躍方法)。
痛恨の負傷のため、ヤシチェンコは若くして現役を引退することになった。そして40歳の時、過度の飲酒が原因で世を去った。
1960年の欧州選手権。フォワードのパニジェーリニクはロスタイムで値千金のシュートを決め、ソ連サッカー史上初の欧州選手権優勝に貢献した。次の欧州選手権でもソ連を準優勝に導いている。国内ではたびたび最優秀選手に選ばれ、現役引退後はスポーツ記者の道に進んで、数冊の書籍も執筆した。
月曜日を意味するパニジェーリニクという姓については、興味深い話が家族に伝わっている。農奴解放令の後、先祖はドン地方に逃れたが、そこで酒に酔った書記が姓の欄に曜日を記入してしまったのだという。
ソ連フィギュアスケート界のレジェンド。パートナーであり、私生活では妻でもあるリュドミラ・パホモワとともに、冬季オリンピックの種目に加えられたアイスダンスの金メダル第1号となった。
世界選手権でも、ペアで6回連続の優勝を達成している。現役引退後もゴルシコフはスポーツ関わり続け、後にロシアフィギュアスケート連盟の会長も務めた。
チェスもまた、ソ連を熱狂させていた。カルポフは、世界チャンピオンとチェス・オスカーのタイトルを何度も獲得した、レジェンド級のグランドマスターである。
カルポフの名はギネスブックにも記載され、彼の対戦の多くは史上最高のゲームと評されている。その活躍は映画『世界チャンピオン』(原題『Чемпион мира』、2021年)にもなっており、カルポフをイワン・ヤンコフスキーが演じている。
1972年のミュンヘン五輪で、ワーシンはソ連初の飛び込み競技の金メダリストとなった。1920年からこの種目を制覇し続けていたアメリカ勢に勝ったことは、冷戦のただなかの当時はソ連スポーツの大勝利として大歓喜を呼んだ。
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