1995年のサハリン北部地震後のネフチェゴルスクの町 =タス通信撮影
ロシアで初めてこうした方式が用いられたのは、サハリンのネフチェゴルスクの町を一瞬にして廃虚にした1995年のサハリン北部地震の時である。
その年、太平洋における地震活動はいつになく活発であり、1月には、日本の神戸を中心に大地震が起きた。ロシアの地震学者たちは、極東のカムチャツカでの地震を予想していたが、サハリンの地震は予想していなかった。
当時、ネフチェゴルスクには3197人が住んでいた。現地時間の5月28日1時4分、サハリン北部で地震が発生した。非常事態省の資料によれば、その地震はロシアにおける過去100年間で最大の地震となり、地震の大きさはマグニチュード7.5に達した。
震源から25~30㌔の地点に位置したその町で2100人が建物の下敷きになって死亡し、350人以上が今も行方不明となっている。
ネフチェゴルスクは、石油採掘従事者たちの町として1964年に建設が開始された。30年間に、1棟80戸の5階建ての住宅17棟、れんがおよび大型ブロックの2階建ての住宅4棟などのほか2階建ての幼稚園4棟、学校、商店などが建てられたが、地震によりほぼすべての建物が倒壊した。前日に行われた卒業式で学校を巣立った26人の卒業生のうち、助かったのは9人のみであった。
ネフチェゴルスクでは、ロシア非常事態省の救助隊員らが、救うことのできたすべての人を救い、ロシアの救助隊員の高い水準が世界に認められた。その一方で、ロシアが外国の救助隊支援を断ったために内外から批判を浴びた。
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