地球に隕石が降るのは非常にありふれたことだが、地表まで到達するものは毎年500個に過ぎない。中には市街地の近くに落ちて多くの人に目撃されるものもある。ロシアに落ちた隕石の中で特に大きく、特に変わったものをご紹介しよう。
隕石が落ちたニジニーノヴゴロド州のプチェシ地域
Angelika37 (CC BY-SA 3.0)ロシア内には多くの古代隕石のクレーターがあり、その大きさは圧巻だ。最大のものはサハ共和国(モスクワの8400キロメートル北東)にあるポピガン・クレーターだが、人里からは遠く離れている。居住地にあるクレーターの中で最大なのがプチェシ=カトゥンキ・クレーターである。ロシアではポピガン・クレーターに次いで2番目に大きい。直径は80キロメートルだ(ポピガンより20キロメートル小さい)。ニジニーノヴゴロド州(モスクワの400キロメートル東)のいくつかの地方にまたがっている。州都からは80キロメートル離れている。クレーターは1965年に発見され、最初研究者らは当初これを死火山と見ていたが、岩石を調べたところ、隕石によってできた巨大なクレーターであることが分かった。
クレーターの大きさから判断して、隕石の直径は1キロメートル以上、空に粉塵の雲を巻き上げ、「隕石の冬」によって生物を大量絶滅に導いた可能性がある。まさにこのことが、この隕石の落下時期の通説に疑問を投げかけることとなった。プチェシ=カトゥンキ・クレーターは1億6700万年前にできたと考えられてきたが、この時代に大量絶滅の痕跡は見られないのだ。2019年にロシアとヨーロッパの学者らが発表した研究にはこう述べられている。「プチェシ・カトゥンキ構造体は、比較的巨大であったために、超音速の影響と種の絶滅との関係を究明する最重要の手掛かりとなった」。岩石の標本に対する実験で、クレーターはずっと古く、1億9200万~1億9600万年前に遡ることが判明した。ちょうどこの時代に大量絶滅が起こっている。ちなみに、クレーター内の岩石はインパクタイトであり、ダイヤモンドの層が眠っている可能性がある。
ツァレフ隕石の破片
Vladimir Yatsina/TASSこの天体がヴォルゴグラード州(モスクワの900キロメートル南東)のツァレフ村付近に落下したのは1922年12月6日、晩遅くのことだった。当時隕石の破片は見つからなかったが、推測と目撃者の証言は残った。ヴォルゴグラード・プラネタリウムのウラジーミル・フロロフ館長はこう話す。「証人の一人は、村の裏手で空飛ぶ火の玉を目撃し、とても大きな爆発音を耳にしたと報告した。地面が揺れ、その後すべてが闇の中に消えた」。当時10歳だった村の女性の一人は、空を竜、すなわち尾の付いた火の蛇が飛んでいるように見えたと回想している。『コムニスト』紙には、隕石が純金でできていたという憶測が報じられている。
1923年、隕石の破片の捜索が試みられ、科学アカデミーは発見者に報酬を出す約束までした。だが、国内の厳しい状況のために、隕石の発見までには数十年を要した。ようやく1979年に本格的な捜索と研究が始まったが、この時に功績を挙げたのはツァレフの電気技術者ボリス・ニキフォロフだった。不可解な錆びた石がいくつか村人によって見つかっていたが、ニキフォロフが初めてその石に注目したのだった。彼は科学アカデミーの隕石委員会に手紙を書いたが、すぐには信じられなかった。だが捜索の結果は驚くべきものだった。専門家らが珪酸塩を主成分とするコンドライト隕石の破片を1500キログラムも発見したのだ。
カインサス隕石破片の一つ、4.04グラム
Jon Taylor (CC BY-SA 2.0)タタールスタン共和国(モスクワから950キロメートル東)内では5つの隕石が見つかっている。うち最大のものがムスリュモヴォ地区のカインサス村の近くに落ちたのは、1937年9月13日15時15分だった。当時コルホーズ員らが畑で働いていた。火球は落下の際に分裂した。「うち一つは54キログラムもあり、コルホーズ員のマヴリュダ・バドリエワはあわや死ぬところだった。衝撃波は強く、隕石の落下地点から四、五㍍のところにいたバドリエワは転倒して打撲傷を負った」と『イズベスチヤ』紙は事件の4ヶ月半後に報じている。
しかし、バドリエワの負傷の原因となった破片は、最も大きなものではなかった。最大の破片はその2倍の102.5キログラムもあった。見つかった破片の総重量は210キログラムに上った。隕石は石質で、破片は角張ったピラミッドのような形状をしており、隕石物質は溶けていた。
ステルリタマク隕石が落下した場所
greenexp1990年5月17日23時20分、大きな火球がバシキール共和国のステルリタマク市(モスクワの1200キロメートル南東)の近くに落下した。1990年6月28日付の『ウラル労働者』紙はこう報じている。「飛行は轟音を伴い、足元で地面が揺れていた。目撃者の話では、火球が地面に落下した時の衝撃はものすごいもので、周囲のあらゆる物が跳ね上がって落下したという」。
学者がステルリタマク隕石の破片をチェックしている
Viktor Vonog/TASSすぐに隕石の捜索が始まり、翌朝には直径10㍍、深さ5㍍のクレーターが見つかった。火球は金属製だったことが分かった。専門家らが最初に発見した2つの破片は、それぞれ3キログラムと6.6キログラムだった。その後ショベルカーによってさらにいくつかの破片が掘り出された。だが315キログラムの最も重い塊が見つかったのは1年後のことだった。学者らは、落下地点の地中の厚い層の中に隕石のもっと大きな破片が隠れている可能性があると考えているが、現在発掘作業は中止されており、クレーターには水が溜まっている。
証人が描いたヴィチムスキー隕石の落下瞬間
Oleg Lastochkin/Sputnikヴィチムスキー隕石はイルクーツク州(モスクワから4200キロメートル東)のボダイボ市とママ町、ヴィチムスキー町の近くに落下した。2002年9月25日の前夜、火球が空中で爆発し、隕石の雨を降らせた。「昼間のように明るくなり、広大な領域に強い揺れをもたらす強力な空中爆発が起こった」とイルクーツク国立大学天文台のセルゲイ・ヤゼフ所長はこの出来事について述べている。そして実際に、爆発後の隕石の破片は森の木々をなぎ倒し、60平方キロメートルの範囲を焼いた。強力な衝撃波は周囲50キロメートルに及んだ。自然にこれ以上の影響をもたらしたのは、ツングースカ隕石だけだ。
米国空軍の衛星が火球を発見したが、高度30キロメートルのところで見失った。幸いにも爆発地点の下に居住地はなく、被害者はいなかったが、一歩間違えば大惨事となっていた。見つかった破片の総重量は数百キログラムに上ったのだ。専門家らの推計では、地球に落下するまで、隕石は約160トンもあったという。
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