ロシア・ヤコヴレフ設計局の優れた飛行機5選

ジュコフスキーで行われた国際航空ショー「MAKS-2013」にて。Yak-130の飛行の練習。

ジュコフスキーで行われた国際航空ショー「MAKS-2013」にて。Yak-130の飛行の練習。

マリナ・リスツェワ撮影/TASS
 ロシアの主要な飛行機設計局の一つ、ヤコヴレフ設計局は、第二次世界大戦で活躍した戦闘機から効果的なジェット練習機まで、派生モデルを含めて200種類以上の飛行機の開発を担当してきた。

1.Yak-3

 第二次世界大戦中、Yak-3はソ連だけでなく世界で最も優れた戦闘機の一つだった。設計者らは可能な限り機体を軽くし、なおかつ火力と速度も格段に向上させた。

 Bf-109やFW-190といったドイツ軍の最も優れた戦闘機にとっても脅威であったYak-3は、最も危険な戦闘地域に配備され、最も重要な任務を託された。

 1944年7月16日、18機のYak-3から成る一団が24機のメッサーシュミットおよびフォッケウルフの戦闘機とドッグファイトを繰り広げた。ソ連軍のパイロットは15機の敵機を撃墜した。ソ連側の損失は一機だけだった。

 頑丈でメンテナンスが容易なYak-3は、パイロットに好まれた。ソ連でナチスと戦ったノルマンディー・ニーメン飛行連隊のフランス人パイロットらは、ソ連が武器貸与法で手に入れた英国や米国の戦闘機よりもYak-3を好んだほどだった。

 戦争が終わると、フランス兵は37機のYak-3に乗って帰郷した。ソ連が新生フランス空軍に譲渡したのだった。

2.Yak-9

 1942年にYak-9が登場したことによって、ドイツ空軍の空の支配は終わりを告げた。16769機が製造されたYak-9は、第二次世界大戦中に最も量産された戦闘機となった。

 Yak-9は爆撃機や偵察機、旅客機、練習機など、他の種類の飛行機に改造するのに適したプラットフォームだった。戦時中には22種の派生モデルが作られ、うち15種は量産に回された。

 この飛行機はソ連空軍だけでなく、同盟軍の間でも人気だった。一時、Yak-9は英国王立空軍第234飛行中隊司令官のジェームズ・エリック・ストーラーの個人用戦闘機として使用された。

3.Yak-40

 1960年代初めに設計されたYak-40は、ソ連初・世界初の国内線用ターボジェット旅客機となった。

 この飛行機は単純だが信頼の置ける構造をしていた。3基のエンジンの一つが故障していても離陸でき、飛行中に2基のエンジンが止まっても、一基のエンジンだけで飛ぶことができた。

 Yak-40は頭上の荷物ラックがなく、乗客は機内の特別な空間に荷物を預けた。

 Yak-40が墜落した事故・事件の大半は、技術的欠陥ではなくヒューマンエラーによるものだった。十数機がアンゴラ、リビアなどの戦闘地域を飛行している際に墜落した。

4.Yak-141

 Yak-141はソ連空母戦闘群の主要な艦載機となるべく設計された前途有望な超音速垂直離着陸機だった。

 技術的には、Yak-141は従来のモデル(Yak-36とYak-38)や、他国の同型機(ハリアー、ダッソー、ミラージュIIIV)を凌いでおり、最も優れた海軍垂直離着陸機となるはずだった。

 だがこのソ連の飛行機も、運命には抗えなかった。ソ連崩壊と予算の打ち切りで、プロジェクトは終了した。4機の試作機が作られていたが、量産されることはなかった。

5.Yak-130

ジュコフスキーで行われた国際航空ショー「MAKS-2009」でのYak-130

 Yak-130はロシアの主要なジェット練習機で、空軍パイロットは日々この練習機で離着陸や航行、複雑な操作の腕を磨いている。この練習機は、F-16や中国・パキスタンのJF-17などの飛行特性を模した独特の特徴を備えている。

 実戦ではYak-130は軽攻撃機として応用でき、地上の目標や、ヘリコプターや無人機などの低速飛翔体を攻撃できる。

 ヤコヴレフ設計局とイタリアのアエルマッキの共同プロジェクトであるYak-130は、1991年にソ連が崩壊して以来ロシアで初めてゼロから設計・製造された飛行機だ。

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