「春と労働の祝日」はなぜ5月1日に祝われるのか?

モスクワの「労働者の国際的団結の日」、1987年

モスクワの「労働者の国際的団結の日」、1987年

ウラジーミル・アキモフ/Sputnik
5月1日は、ソ連にとって重要な春の祝日であった。労働者や勤労者が、パレードやデモをし、歌を歌って、非常に盛大にこの日を祝った。そこで、労働の日はなぜ5月1日に祝われるようになったのか?

デモ

ボリス・クストーディエフ、5月1日の労働者のデモ、1906年

 すべては、労働者の大規模なデモから始まった。それは、19世紀末に世界中とロシア帝国を席巻した。人々は、1日8時間労働(当時は12~16時間に達することもあった)の確立と労働条件の改善を要求した。

連帯の日

 5月1日は、1890年に世界の労働者の団結の日となり、第1回国際メーデーが実行された。これは、アメリカの「ヘイマーケット事件」(1886年)で射殺されたデモ参加者を追悼したものだ。ロシアで休日となったのは1918年のこと。

 ソビエト政府は労働者の要求を満たした。8時間労働に関する法令は、1917年の革命後に最初に出された法令の1つであり、世界最初のものの1つでもあった。

赤の広場で開かれたメーデーのデモ、1967年

祭典のパレード

トリヤッティ市で民族衣装をつけて5月1日を祝う人々、1981年

 ソ連時代には、この祝日は厳かに祝われ、各生産部門の模範労働者たちが、産業、科学、文化の成果についてのポスターを掲げて行進した。

赤の広場のパレード、1976年

 モスクワの「赤の広場」でのメインパレードは、ソ連全土に放映された。

赤の広場で行われたメーデーのデモ、1954年

祭典の名称は

デモに参加する女性たち、1950年代

 ロシアのメーデーはさまざまな名称で呼ばれてきた。

横断幕とウラジーミル・レーニンの肖像画を掲げる若者たち、1960年

 最初は「インターナショナルの日」、​1972年以降は「労働者の国際連帯の日」と呼ばれた。メーデーの公式パレードが最後に「赤の広場」で行われたのは1990年だ。

モスクワでの5月1日のデモ、2019年

 今日ロシアでは、5月1日は正式に「春と労働の祝日」と呼ばれている。

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