まず初めに、シベリアとは実際はどんなところなのだろうか?西部のウラル山地から東部の太平洋岸まで広がる1310万平方㌔におよぶ地域である。シベリアは16世紀にコサックの頭領イェルマークの傑出した活躍によってウラル東部を征服して以来、ロシアの一部になった。しかし、シベリアとは「国」ではなく、行政単位でもないので、境界線については公式な定めがない。エニセイ川でシベリアは西シベリア、東シベリアの2つに分割される。シベリアの最東部は、歴史的にロシア極東と呼ばれている。
しかしながら、現在のシベリアの地域にはかつてシビル・ハン国呼ばれたテュルク系国家があった。この国はロシアよりも古くから存在していたが、ついには侵略され、16世紀に滅亡した。
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チャラ砂漠
Evgeny Epanchintsev/Sputnikシベリアは広大であるため、様々な地勢が混在している。極北地方には雪氷砂漠、南部にはステップと広葉樹林帯、しかし、大半は松、トウヒ、カラマツからなる針葉樹林帯、タイガに覆われている。
しかしながら、シベリアにも、ある場所に、いわゆる砂漠が存在している!タイガと沼地帯に囲まれた東部シベリアにあるチャラ砂漠だ。しかし、この砂漠はとても小さく、面積はわずか50平方㌔にすぎない。
もちろん、シベリアにも夏は来る。しかし、場所が変われば、その特徴も変わる。シベリア北部では夏はとても短く、1か月から1週間しかないが、シベリア南部のステップ地帯では暑い夏をまるまる3か月楽しむことができる。一方、クラスノヤルスク地方の最北の地は1年中冬で、ヤクーツクでは夏でも永久凍土が融けることがない。
かつてはそうであったが、今はもう違う。17世紀以降、シベリアの厳しい生活環境に加えて、シベリア僻地の開拓と入植の目的のため、多くの囚人がシベリア各地に流刑された。たとえば、トボリスクはフョードル・ドストエフスキーが囚人として流された場所である。ソ連時代には、シベリアの多くの場所にグラーグ(強制労働収容所)がつくられた。
しかしながら、シベリアの産業が発達し、都市化が進んだのは、ここに眠っていた地下資源のおかげであった。シベリアには石炭、金、銅、ダイヤモンドなどのロシアの地資源の大半がある。シベリアの河川にはロシア最大級の水力発電所が5か所あり、歴史的にプラントや工場が設けられている。強制労働収容所がなくなってからは、シベリアはもう流刑の地ではなく、重要なロシアの工業地域となっているのである。
地球上最寒の場所は実はロシア国外の南極高原東部である。しかし、シベリアにおいてロシア人も実に厳しい極地環境に生活しており、しかも零下50度の中マラソン大会まで開いた。そして、ロシア最寒の地はシベリアにある。
エニセイ川沿いの森、クラスノヤルスク地方にて
Ilya Naimushin/Sputnikほぼその通りであるが、すべてではない。シベリアの森では山火事が毎年のように発生し問題となっている。260万平方㌔、言い換えればシベリアの51%が森林に覆われている。しかし、残念ながらその利用状況はうまくやっているとは言えず、効率性も悪い。しかし、シベリアの森は居住可能なのである。
洗濯物を集めているオムスク州の住人
Alexey Malgavko/Sputnikシベリアに住むロシア人は全人口の25%で、3千7百万人以上にもおよぶ。ロシアの人口分布は偏っており、ヨーロッパ側に68%が居住しているが、面積でいうとここは全体の20%にすぎない。
ロシア人はどうしてシベリアの大半がそうであるような、そんなに厳しい土地に住むのだろうかと考える人が多い。しかし、信じられないかもしれないが、ここに住むメリットも確かにあるのである。
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