戴冠式のカタログ、1896年5月14日
ロシアの帝王は、戴冠式の最後に、王笏(おうしゃく)を右手に、宝珠(十字架の付いた黄金の球)を左手に持ち、玉座にすわる。これらのレガリアを最初に用いたツァーリは、イヴァン雷帝(4世)の息子、フョードル1世(1557年~1598年)だった。最後に使用したのは、ニコライ2世で、1906年4月27日のことだ。もっとも、このとき新帝は、レガリアに直接手は触れなかった。それは、ニコライ2世の右側に、儀式用の机に置かれていた。
『イヴァン雷帝はイギリス大使に宝物を見せる』アレクサンドル・リトヴぃチェンコ、1875年
ロシア美術館君主の持つ杖は、おそらく権力の最も古い象徴だろう。その起源は、羊飼いの杖と聖人のそれにまで遡る。それらの杖は、羊飼いの群れに対する力と聖職者の教区への権能とをシンボライズしていた。
杖はまた、多くの様々な宗教において、高位の神官、僧侶によってしばしば使用された。君主の手にある杖は、天と地をつなぐ「生命の樹」の幹を象徴していた。
スヴャトポルク1世(銀)とウラジーミル1世(金)の硬貨
Grigoriy Tyukanov (CC BY-SA 3.0), エルミタージュ美術館こうした杖は、古代ロシアにキリスト教を導入したウラジーミル1世と、その息子スヴャトポルク1世を描いた、ロシアの貨幣でも見ることができる。なおその絵柄では、公たちは十字架で飾られた杖を手にしているが、同様の絵は、同じ頃のビザンツ帝国の硬貨にも見られる。
王笏はこれらの杖とは少し異なり、長さが短い。ローマ帝国の軍隊では司令官の象徴として笏が使われ、その後、中世ヨーロッパでは、君主の軍事的および世俗的な権力の象徴として採用された。
『イヴァン雷帝』ヴィクトル・ヴァスネツォフ
トレチャコフ美術館ロシア最初の王笏は、おそらくラジヴィル年代記(13世紀に書かれた年代記)の挿絵に描かれたものだろう。この挿絵では、キエフ大公国のスヴャトスラフ2世(ウラジーミル1世の孫)が王笏を持って、ドイツの使節を引見している。しかし公式には、王笏は16世紀まで使用されず、モスクワ大公国の公たちも、杖を王冠とともにレガリアとして用いていた。
1553年、イギリスの外交使節、ロバート・カンセラーとクレメント・アダムスはこう記録している。イヴァン雷帝は、「金色の玉座にすわり、頭には王冠を戴き、右手には水晶と金で作られた王笏を持っていた」。それ以来、このツァーリは、式典に際しては常に王笏を手にしていたという。
しかしイヴァン雷帝は、自分の権力の象徴として杖をいつも携えていた。ロシアを訪れた別の英国外交官、ジェローム・ホーセイの記録によると、イヴァンは「ユニコーンの角」で作られたというこの杖が治癒の力を有していると信じていた!
ホーセイとの会話の中で、イヴァンはこう言った。「私は故意に病気をうつされている」
そう言ってからイヴァンは、医師に命じた。宝石をちりばめ、ユニコーンの角(たぶんイッカクの牙)を上につけた杖で、テーブル上に円を描き、その中に2匹のクモを入れるように、と。すると、1匹は死に、もう1匹は逃げ出した。
イヴァンは言った。「もはや手遅れだ。それ(杖)は私を救えないだろう」
フョードル1世
Viktor Kornushin/Global Look Press1584年、ロシアのフョードル1世は、戴冠式の際、彼が持っていた杖と、王笏、宝珠とを使用した。王笏、宝珠は、クッションに載せられて、新帝の前を運ばれてきた。残念ながら、フョードルの王笏は現存しない。
ミハイル・ロマノフの王笏と宝珠、クレムリンの武器庫のコレクション
Balabanov/Sputnik知られているかぎり、ロシアのツァーリが使った最古の王笏は、ロマノフ朝初代ツァーリ、ミハイルが戴冠式で用いたものだ。これはたぶん、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世から贈られたものだった。もう一つの王笏は、ミハイルの息子、アレクセイが使用したもので、宝珠とともに、1662年にイスタンブールからもたらされた。
ロシア帝王の王笏と宝珠、ダイヤモンド庫
Yuriy Somov/Sputnikアレクセイの息子、ピョートル大帝(1世)の戴冠式では、モスクワで作られた古い様式の王笏が使われた。これは、リューリク朝の王笏によく似ていた。しかし1762年、ロシアで活動したオーストリアの宝石商、レオポルド・プフィステラーは、エカテリーナ2世のために皇帝の王笏を制作した。以来、これが用いられるようになる。
1774年、ダイヤモンド「オルロフ」(199.6カラット)が王笏に取り付けられた。王笏の長さは59.6 センチメートル、重量は604グラム。金395グラム、銀60グラム、ダイヤモンド193個が王笏に使われた。1967年以来、クレムリンの「武器庫」内の「ダイヤモンド庫」に展示されている。
アレクセイ・ミハイロヴィチ大公の宝珠(1629-1676)
Sergey Subbotin/Sputnik宝珠(宝珠)は、より正確には「globus cruciger」、「十字架の付いた球」を意味するラテン語だ。これも各王室のレガリアの一部をなしており、君主の霊的および宗教的な力を象徴している。王笏と同じく、ローマ帝国に由来する。ジュピターが持つ模様のない球体は、世界または宇宙を表している。一方、皇帝が持つ金属の球は、彼の権力を表す。
コンスタンティノープルから採り入れた王笏と宝珠
Fyodor Solntsev/Antiquities of Russian country, 1846—1853キリスト教が流布するにともない、球に十字架が付けられた。皇帝は球(世界)を手に持ち、神に代わって世界を支配することを示した。王笏同様に、ロシアのツァーリは宝珠をコンスタンティノープルから採り入れた。
ピョートル大帝(1世)の宝珠
Shakko/Wikipediaロシアの宝珠は4つある。1つ目は、ロマノフ朝初代ツァーリ、ミハイルが使用したもの。これはルドルフ2世から王笏といっしょに贈られたらしい。旧約聖書のダビデ王の生涯の場面を描いている。
1662年にイスタンブールから王笏とともに到来したギリシャ製の宝珠は、ミハイルの息子アレクセイが使った。ピョートル2世のためにも宝珠が作られた。戴冠した1727年にこの君主はわずか12歳の少年だったので、かなり小ぶりだが。
帝政ロシアの宝珠
Yuriy Somov/Sputnik最後の4つ目が「帝国宝珠」だ。高さは24 センチメートル、球の周りは48センチメートルある。宮廷御用達の宝石商ゲオルク・フリードリヒ・エッカートによって、エカテリーナ2世のために作られた。
帝国宝珠と帝国王笏
Boris Kavashkin/TASSこれは滑らかに磨かれた黄金の球で、ダイヤモンドのベルトに囲まれている。次代の皇帝パーヴェル1世の治世に、この球は195カラットのセイロン・サファイアで飾られた。合計465グラムの金、305グラムの銀、および1370個のダイヤモンドも宝珠の制作に使われている。
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