最初はソ連で歓迎されたアメリカのジャズがのちに禁止されたのはなぜか?

レニングラードのディキシー・バンド、1970年。

レニングラードのディキシー・バンド、1970年。

ミハイル・オゼルスキー撮影/Sputnik
 ソ連には多くのジャズの愛好家がいたが、ソ連の指導者がいつもこの趣味を共有していわけではない。概してソ連で最初は受け入れられたジャズであるが、その後は憎むべき西側体制の象徴であるとして排除された。

 信じ難いことに、1920年代のソ連の指導者は、政治的に敵対する国のポピュラー音楽に寛大な姿勢を見せていた。アメリカのジャズ音楽は許されていただけでなく、市民から温かく歓迎されていた。

スーツを着た二人の男性は踊り、二人のミュージシャンがサクソフォーンとトランペットを弾く。「ホワイト・ボトムズ」、1927年出版。

 理由は単純だった。ソ連の指導者たちは、ジャズをアフリカ系アメリカ人の虐げられた人々の音楽だとみなしていたからである。音楽が、政治的闘争の武器として使えるかもしれないと考えたのである。

1927年にはチェプリツキーのジャズバンドの国内ツアーが行われ、12月11日にはサンクトペテルブルク・フィルハーモニアで黒人歌手、コレッチ・アルレ=チツのコンサートが行われた。

 ソ連にジャズが誕生したのは1922年10月1日のことであった。モスクワで、アマチュア演奏家による最初のジャズ・コンサートが開かれたのである

1922年10月1日にモスクワで最初のジャズのコンサートが行われた。ロシア国立舞台芸術大学ギーチスの舞台でヴァレンチン・パルナフ(1891-1951)が「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国初のエキセントリックな合唱団=ヴァレンチン・パルナフのジャズ・バンド」を発表した。写真には実家のタガンログでのヴァレンチン・パルナフが写っている。1910年。

 数年後、アメリカの人気ジャズ・バンド、フランク・ウィターズとサム・ウッディングがソ連を訪れ、何回かのコンサートを行い、大成功を収めた。

サム・ウッディングのジャズ・バンド。屋上庭園、ベルリン。おそらく1930年4月。

 1920年代後半になると、モスクワとレニングラード(現サンクトペテルブルク)では数々の地元のジャズ・バンドが現れ、やがて国じゅうのジャズ・ファンのとって憧れの地となっていく。

レオポルド・チェプリツキー(真ん中)の最初のバンド。レニングラード、1927年。

 最初のうちは、ソ連のジャズ・バンドはアメリカの曲を演奏していたが、しだいに、ソ連の作曲家による曲も人気が出てきた。

レオニード・ウチョーソフ(真ん中)と彼のジャズ・バンド。1938年。

 しかしながら、まもなくジャズに対するソ連指導者の姿勢が変化し、1930年代になると、ジャズはブルジョワ文化の悪例とされ、厳しく非難されるようになった。

ロシア構成主義を代表するグラフィック・アーティスト、ステンベルグ兄弟が再版した映画「ビジネスマン」の広告。1921年、ソヴキノ出版社。

 海外のジャズ・ミュージシャンはソ連で禁止された。地元のジャズ・バンドは生き残ることができたが、演奏活動は制限された。

 第二次世界大戦中、ソ連のジャズ音楽はいくぶんか息を吹き返した。軍隊の士気を高めるために、多くのジャズ・バンドが演奏会を開いた。

セミョン・クリヴォシェイン中将のタンク軍団がベルリンでの勝利後の最初の祭りにて。軍団のジャズ合唱団の演奏。

 戦後、ソ連のジャズ界はこれまでにない苦難の時代を迎えた。冷戦が始まるとともに、ジャズ音楽は中傷され、「今日彼はジャズを演奏し、明日母国を裏切る!」というスローガンが大きく宣伝された。

レニングラードのディキシーランド・ジャズ。1967年。

 1960年代になって、ようやくジャズは新たなスタートを切る。新しいバンドが結成され、ジャズに関する本や映画が公開された。1964年には、モスクワに伝説的ジャズ・クラブ「青い鳥」がオープンした。

若者のためのコーヒー・ショップ「青い鳥」にて。1964年。

 海外のミュージシャンも再び入国を許されるようになった。多くの海外ミュージシャンがやってきたが、有名なサックス奏者、ジェリー・マリガンや、サド・ジョーンズ、メル・ルイスといったレジェンドもソ連で演奏した。

アロンゾ・スチュアード、ニューオーリンズ・ジャズ・オーケストラのドラマー。モスクワ「ヴェリエテ」劇場でのコンサートの時。 1979年。

 やっとソ連でジャズが復活したものの、1991年にはまたもや試練が訪れた。危機が全土を襲い、ジャズもそれを免れなかった。多くのミュージシャンがロシアを去り、多くのバンドが解散した。この危機は2000年代になってようやく終わった。

1992年10月1日。モスクワ、ロシア。ジャズマンのイーゴリ・ブトマン。

もっと読む:

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる