「実際の話、半年や1年の間、不便さを強いられるからといって、瓶によじ登る(這い込む)意味はない」。1960年代にソ連の反体制派で人権活動家のユーリー・ダニエルはこう書いた。
この言い回しは、一見するとまったくナンセンスで、ある種の不便さとボトルへ入ることとがなぜか結びつけられている。
読者は、このロシア語のフレーズはウォッカや過度の飲酒に関係している、と思うかもしれない…。だが、そうではない。酒浸り、アル中にならないために、「ボトルに入るべからず」というような意味ではない。
実は、“лезть в бутылку”「ボトルによじ登る(這い込む、入る)」という表現は、理由もなく、あるいは些細なことで苛立ったり、腹を立てて我を忘れることを意味する。
だから、日常会話では、たとえば、こんな表現があり得る。
「地下鉄でうっかりぶつかられたからといって、『ボトルに入って』車内全体に聞こえるように騒ぎ立てなくてもいいじゃないか」
では、そんなスキャンダルとボトルとの間にどんな関係があるのか?もちろん、このフレーズでは、「ボトル」は、文字通りの意味では使われていない。
“Бутылка” (ロシア語読みは「ブトゥイルカ」で、ボトル、瓶)は、ここでの意味は、民衆の暮らしから生まれた転義だ。帝政時代、首都サンクトペテルブルクの新オランダ島に、監獄の塔があり、それが発祥の地だ!
ここに今も、リング状の旧海軍刑務所の建物がある。新オランダ島に、1829年に建築家アレクサンドル・シタウベルトにより建てられたものだ。かつて島には一種の工業団地があり、造船所や倉庫、そして水兵用の刑務所、通称「ボトル」もあった。
誰しもこんな「ボトル」に入りたくはあるまい。言い伝えによると、これが慣用句の起源だ。かつて水兵たちはお互いに注意し合ったものだ。カッカするなよ、じゃないと「ボトル」に放り込まれるぜ、と。その後、この慣用句が民衆の間に根付いたというわけ。
ロシア語には、 "лезть" (よじ登る、這い込む、入る)を含む慣用句はたくさんあり、それぞれ異なる意味をもっている。
ほかに、かなり廃れた表現ではあるが、 "лезть со свиным рылом в калашный ряд" (「豚がパン屋に鼻面を突っ込む」)というのがある。「入ってはいけない場所に入ろうとする」という意味だ。
現代ロシア語では、 "лезть не в свое дело" (他人のことに入り込む)が広く用いられている。自分に関係のないことをやたら知りたがったり介入したりする人について使う。
また、子供に対して、 "не лезь!" (よじ登る〈這い込む、入る〉の命令形)と、たしなめることもある。余計なちょっかいを出すな、要らないことに口を出すな、といった意味だ。
ここで考慮すべきは、動詞 "лезть" は、それ自体がかなり俗語的で、ときに荒っぽく聞こえるということだ。
ロシア語辞典によれば、"лезть" は、どこかによじ登る、力づくで、あるいは断りなしに侵入する、の意味。だから、塀越しに、または閉じた門の下を"лезть" するケースがある。泥棒がアパートに"лезть" することもある。
このほか、この動詞は、「脱毛する、脱皮する」の意味で使われることもある。この意味ではふつうは、蛇や猫が "лезть" するというふうに使用される。
ある!当然だが、“бутылка” は、一般の意識ではまず第一に、アルコール飲料のメタファーだ。
ラテン語の慣用句 “In vino veritas” 「酒の中に真実がある→酒に酔えば、人は本音や欲望を表に出す」には、そのロシア語版がある。 “истина на дне бутылке” (瓶の底に真実がある)。
ロシア語の “Выпить спиртного” (酒を飲む)は、 “раздавить бутылку” (瓶をつぶす、砕く)という間接的な表現に置き換えることができる。また、瓶は、「3人で砕」いたり、「3人で相談」したりすることもあった。いずれも、「割り勘で飲む」という意味だ。
ソ連時代は、ウォッカは一瓶3ルーブルしたので、貧しい人々は酒場に集まり、1ルーブルずつ出し合って、3人で一瓶買うことがあった。
さらに、禁酒している人は、“Враг бутылки” (瓶の敵)と呼ばれるし、酒に弱く、ときどき酔っぱらって問題を起こす人を “заглядывает в бутылку” (瓶をちらちら覗く、横目で見る)と言う。
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