もちろん、作家たちもまず天気を心配していた。名作『罪と罰』の作者フョードル・ドストエフスキーは青年時代にペトラシェフスキー事件に連座し、監獄「ペトロパヴロフスク要塞」に収監されて、そこで8ヶ月を過ごしたが、兄ミハイルにこんな手紙を書いている。
「今や、厄介な秋の季節が近づいており、それにつれて『ふさぎの虫』も昂進しています。今、空はもうどんより曇っていますが、私の監獄から垣間見える明るい空の断片は、私の健康と良い気分を保障してくれます。でも、今のところ、私はまだ元気に生きている。これは私にとって事実です。ですから、私の状態をあまり憂慮しないでください。今のところ、健康に関してはすべて良好です。私はもっと悪いことを予想していましたが、今では分かっています――私のうちには尽きせぬ生命力が秘められていることを」
結核を患っていたアントン・チェーホフは、天候の問題をあっさり解決した。彼は外国に、たとえばニースに転地した。
「ここは暖かい。夕暮れ時になっても、秋らしくありません。海は優しくて、感動します。プロムナード・デ・ザングレは緑が生い茂り、陽光に輝いています。朝、私は日陰に座って新聞を読みます。たくさん散歩します」。彼は、ジャーナリストのアレクセイ・スヴォーリンにこう書き送っている。
「ここは何という天候だろう!徒歩や騎馬で散策ばかりして3日が経ちました。こうやって散歩して秋を過ごすつもりです。もし厳しい寒さに見舞われないなら、私はこうして何もせずに、あなたのところに戻るでしょう」。アレクサンドル・プーシキンは、古都プスコフ近郊のミハイロフスコエから妻に書き送った。
イワン・ブーニンは、夏の明るい緑が秋の黄金色に変化する様を見守っている。
「とても強くて冷たい風だ。庭はざわめき、沸き立っているかのようだ。空はほぼ一面にどす黒く曇っているが、日が差すところは明るい。木立の頂の多くは、黄、赤、橙色に色づいている。雲と風。夜は驚くほど晴れ渡り、月は異常に澄み、空には雲一つなく、鋭い風がすべてを切り裂いている」
ミハイル・ブルガーコフは、隣人への不平をこぼしている。
「今日、初めて暖房が入った。私は、寒気が入らないように窓の隙間を塞ぐ作業に丸一晩かかった。ところが最初の暖房も、あの悪名高いアンヌシカが夜間にキッチンの窓を全開にしていたせいで台無しになった。このアパートに住んでいる連中をどうしたものか見当もつかない」
金回りがよくないときは、チェーホフは、フランスではなくクリミアに行った。もっとも、ここの秋は薄ら寒かった。
「ヤルタに秋が来ました。朝は雨だったが、今、夜間になると猛烈な風が吹きすさんでいる。こいつから逃れるすべはありません。どうかお願いだから、もっと柔らかくて上等な帽子を(ミュラかどこかの店で)買って送ってください。私の暖かいフラシ天のチョッキも仕立て屋に渡してほしい。毛足を編んでトリミングし、全体を仕立て直すようにね。そして小包にして私に送ってください。ここではストーブの調子が悪いので、チョッキなしでは過ごせない。野良犬みたいに震えるよ」。作家は妹マリア・パーヴロヴナに訴えた。
ドストエフスキーは、サンクトペテルブルクの寒い秋が気に入らなかった。
「サンクトペテルブルクの冬は寒く、秋はすごく湿気が多く、健康に悪い。だから、外套を着ないと出歩けず、さもないとくたばりかねない。もちろん、この点については結構な決まり文句がある。『お前にはそれが相当だ、ざまあみろ!』(туда и дорога!)。でも、このフレーズは極端な場合の話で、私は、そんなのは御免こうむる」
イワン・ブーニンは秋の寒さに悩まされなかった。
「夕方6時。今、外に出た。何と素晴らしいのだろう。秋の外套がちょうどいい。手に心地よい冷たさを感じる。何という幸せだろう――ここ何日も南方から吹き続けている快い冷風を吸い込み、乾いた地面を歩むことは。そして、庭、茶色の葉を残している木を眺めることは。その葉は、夕映えか(夕映えそのものはほとんど無色だが)、それ自体の色で赤く染まっている」
「ああ、秋は何と美しいことか…。泥濘でぬかるんでいるときではなく<…>、空が澄み渡り穏やかなときです…。晴れた秋の日には何かがあります。それは晩年のルイ14世を思わせます…。あなたは私のこの比喩を笑うでしょうが。まあ、それくらい良いんです!」。『貴族の巣』の作者イワン・ツルゲーネフはこう感嘆している。
チェーホフはこの季節への愛を次のように吐露している。
「秋の気配がする。私はロシアの秋が好きだ。異常に哀しく、でも愛想がよく美しい何ものか。これを捕まえて鶴たちといっしょにどこかへ飛んでいたいものだ。昔、子供の頃、秋にさえずる鳥を捕まえて市場で売ったことがある。すごく楽しかった!本を売るよりずっといい」
レフ・トルストイにとっては、季節の移り変わりさえ、哲学的な思索の種になった。「散歩に出かけた。素晴らしい秋の朝、静かで暖かく、まだ緑豊かで、葉の香りが漂っている。しかし、人々は、この素晴らしい自然――野原、森、水、鳥、動物――のかわりに、都市に別種の人工的な自然をこしらえた。そこにあるのは、工場の煙突、宮殿、機関車、蓄音機…。ひどいものだ。これを直すすべはない…」
コンスタンチン・パウストフスキーは、秋の自然の美しさに賛嘆した。
「すべてが黄色に変わります。ポジャロスチプスキー庭園、柳、草、水草、そして泥棒猫の目でさえ、特別な秋の黄色を醸し出しています。秋は、ここソロッチャ(*リャザン市の飛び地)にも、しっかり訪れたようです。いたるところに蜘蛛の巣がかかり、陽光が降り注いでいる。夏にもないほど辺りは静まり返り、水面の浮きは、魅入られたようにピクリとも動かないが、やがてかろうじてそれと分かるアタリが来る。足が治ったらすぐにチョールノエ湖に行くことにしました。私は、書いたり読んだり、風の吹き具合に応じて悲しいことや楽しいことを考えたりします。夜はすでに長く、星が満天に散りばめられています。あなたがここで秋を見られないのは残念です。おそらく今が最高の時期でしょう。私は、毎年秋が来ると元気になるのです」
最もロマンチックな時期は春だという人もいるが、心中の真の情熱を目覚めさせるのは秋だと信じている人もいる。
「秋になると、私はあたかも何かを待ち構えているようで、私の中で血が沸き立ち、心が甘美に締め付けられて、時には理由も分からずに泣いた。自然の美しさや詩に触発されて涙を流し、悲しみに浸っても、それでもなお、春の若草のように、楽しく明るい青春の感情が私の中で沸騰し始めた。私は間違いなく恋に落ちるだろうと思ったものだ」。ブーニンは述懐する。
ツルゲーネフもまた、ロマンチックな感情を期待して秋を迎えた。
「私はスカチコフに、空気中に火薬の匂いが漂っていると手紙に書いた。これは戯言で、不幸者の政治的な皮肉です。私にとって、空気は愛を漂わせています。私にとって、これはとてもとても運命的な時期なのです。そう、私は変わり者です。他の人にとっては春ですが、私にとっては秋の自然の静かな哀しみなのです。この淡い青空、長い並木道沿いに積もった黄色い葉、裸の暗褐色の枝、シジュウカラの鳴き声…。秋のすべての魅力がたまらなく私の心を捉え、悩ましい気持ちにさせる。そして、私は恋に落ちる準備ができるわけです」
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