東京都心に懐かしのソ連グッズ

店主の高橋拓也さんと山本香菜さん

店主の高橋拓也さんと山本香菜さん

ナタリア・ススリナ
 チェブラーシカ、1980年モスクワ五輪のマスコット「こぐまのミーシャ」、手作りのマトリョーシカ。こういったロシアのお土産や「ソ連ヴィンテージ」を買うためには、必ずしもロシアに行く必要はない。

 東京のおしゃれな代官山に、クラフトビールやデザインショップのなかから、一風変わったショーウインドーが目に飛び込んでくる。そこに飾ってあるのは、30歳以上のロシア人なら誰でも子供の頃からお馴染みのグッズ。昔使ったあのマグカップ、子供の絵本、起き上がり人形、スパイスと小麦粉を入れるブリキの缶…。昔はソ連のどの家庭にもあったものばかりだ。

店の一番人気な商品のマトリョーシカ

マトリョーシカから「ソ連ヴィンテージ」 

 デザインショップ「Johnnyjumpup」の主だった品揃えは、「ソ連ヴィンテージ」だが、現在のロシアの品物もある。それは主にマトリョーシカで、その大半はロシアの職人の手作りだ。 店主は夫婦で、高橋拓也さんと山本香菜さん。夫妻によると、ロシアに夢中になったのはまさにマトリョーシカが始まりで、もともとは、世界中の――ヨーロッパ、イギリスからベトナムにいたるまでの――古い品物を販売していたのだが、やがて、ソ連デザインのグッズに注目するようになったという。

 店に置く商品は、高橋さんが自ら年に2~3度ロシアに足を運んで選ぶ。蚤の市を回ったり、友人知人を通じて、ソ連デザイン・グッズのコレクターを探したり、古い“不用品”を捨てようとしている人を見つけるとのこと。

「本当に好きで集めている人の所を探して、そういう人と行動しないと、ソビエトの時代の物だけを持ってこようというのはなかなか難しくなってしまうというのもある。だから、誰かの家とか倉庫とかに行くこともあります」。高橋さんはこう説明する。

お菓子の箱

 ソ連崩壊から30年近く経つせいもあって、高橋さんによると、良好な状態のソ連デザイン・グッズを見つけるのはだんだん難しくなってきているという。そういう品を持っている人とは、高橋さんは主に英語で話すか、グーグル翻訳の助けを借りてコミュニケーションする。ロシア語とくにその活用と格変化は、高橋さんには「難しすぎる」のだそうだ。

 でも、山本さんによると、簡単な言葉や数字は分かるとのこと。「ロシア語は、NHKラジオの講座を聞いてですね、なので一応読めるようにはなった。何が書いてあるかなとかは分かるけど、格変化がね、難しすぎてね」。山本さんは言う。

子供の頃に読んだ本

 高橋さんは、元々デザインとは関係がなくて、専門は工学だったとご本人が教えてくれた。山本さんによれば、彼のヴィンテージへの興味は、親から受け継いだものらしい。

「彼のお母さんが昔からヴィンテージの物が大好きで、イギリスのヴィンテージとかがすごく大好きで、お母さんがすごくセンスの良い方なので、多分小さい頃からそういうものを見てるから…」

 彼女自身についていえば、ソ連とロシアのグッズが好きになったのは、チェブラーシカが始まりで、そのソ連アニメを見てみるように、親友が勧めてくれたのがきっかけだったそうだ。 

「その時もう日本製のチェブラーシカ・グッズが少し出でいたのですが、可愛すぎちゃってあまりピンと来なくて、ロシアのチェブラーシカ・グッズが欲しくて、それもあって、さっきの知り合いの人がそれを持っていたりして、そこからマトリョーシカも実は奥が深いというのが分かったりとか…」。山本さんは回想する。 

 山本さんによると、ロシアに興味を感じ始めてから、ロシアの絵本の展覧会を訪れるようになった。そして、彼女の驚いたことには、それらの本の登場人物やキャラクターの多くが、子供の時からおなじみだったこと。例えば、『森は生きている 12の月の物語』、 『バーバヤーガのしろいとり』、そしてもちろん『三匹のくま』といったロシアのおとぎ話だ。

「絵本も、日本の絵本文化にものすごく影響を与えてる作家さんとかもいっぱいいるくらいだから…やっぱり芸術大国だからね、ロシアって言うと」。山本さんは言う。

心のこもったおもちゃ

 山本さんが言うには、彼女の子供時代は、ソ連に関する情報はまったくなかった。で、何か灰色で暗い国のように思われていたのだが、山本さんが初めてソ連のおもちゃを見たとき、それらが色彩豊かで鮮やかで独特の温かさをもっているのに驚いたという。子供の頃にこれらのおもちゃを一度も使わなかった人たちでさえ、郷愁を感じることがあると彼女は教えてくれた。

 「たぶん国営だったっていうのも影響があるのかなとも思うんだけど、日本だと売り上げが取れないと作れないとかがあるけど、ソ連はそうじゃない時代だったから、自由に、いいと思ったものを作っていたのかなと思う」。山本さんはこう言う。

お菓子の缶

 夫妻によると、店の顧客は日本人だけではない。ときには、ちょっと変わった品揃えのショーウインドーに目を留めた外国人旅行者も訪れることがある。そういうお客は、アメリカ人やドバイのコレクターが多いとのこと。

ソ連時代のバッジ

 でも、客のなかにはロシア人もいる。日本じゃ滅多にお目にかかれない品を置いている店に偶然行き当たった人たちだ。また、知り合いから聞いて来店するロシア人もいる。そういう人たちの多くは、自分が子供の頃になじんだ品がこんなに良い状態で置いてあることに驚くという。彼らが何か買おうとする場合は、だいたい古いファッション雑誌か子供の絵本を選ぶそうだ。

スパイスと小麦粉を入れるブリキの缶

ソ連デザインの復活

 ロシア本国でも、ソ連デザインが再び流行り始めている。生産者、メーカーは、この方面の文化を見直し、その高品質を評価するようになった。比較的最近、ソ連の伝説のズック靴「ドヴァ・ミチャー(二つのボール)」の製造が復活し、あちこちの公園では、ソ連風のアイスクリームが売られている。ワッフルのカップに入ったもの、レトロ調の包装の「エスキモー」(スティックがついていて、チョコでコーティングされている)もの等。レモネードも、レトロ風の自動販売機で買える。

 スーパーでは、ソ連時代のオリジナル包装の商品が、GOSTすなわち国の品質基準に合わせて製造販売されている。またアパートのインテリアでは、丁寧に修復された古い家具や装飾が見受けられる。かつてこれらは、連邦崩壊後に多くの人がお払い箱にしようとしたものだった。

 「ソ連には素晴らしいデザイナーたちがいたし、かつては構成主義で世界の最先端を行っていた。我々はただその伝統を続ければいい」。ズック靴「ドヴァ・ミチャー」の製造を復活させた実業家エヴゲニー・ライコフさんはこう考えている。

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