ピョートル大帝、ヴァレンティン・セローフ画、1907年=
Global Look Pressピョートル大帝は「司祭のロシア」を大国にしただけでなく(国境を広げ、大北方戦争で勝利し、バルト海に進出し、サンクトペテルブルクを創設した)、非宗教的な国家にした。フランスとオランダで学んだ後、ロシアの無知な大貴族に中世の服を脱ぎ、ナイフとフォークを持つことを強いた。
社会でどのようにふるまうべきかを皆に説明するために、共通の教科書が必要だったのである。その教科書になったのが、ピョートル大帝令にもとづいて作成された「青年の誠実な鏡」。 300年前に発行された2部からなる本で、第1部には正しい読み方と計算の仕方、第2部にはエチケットの教えが記されていた。ピョートル大帝は大貴族に何を教えたのだろうか。
「青年の誠実な鏡」には、貴族は敵を中傷したり、敵意を持ち続けたりせず、丁寧に対応すべきと書かれている。「敵が近くにいたら、こっそり褒め、敬い、必要があれば助けよ。また、死者について何も悪いことを言うな」と厳しく書いている。
ピョートル大帝は、社会で極端な自己評価をさけるようすすめている。「自画自賛せず、自己卑下しないこと」。また、自分が名門の出でも、それは自分の功績ではないため、自分の出生を自慢しないようすすめている。「人に褒められるまで待つ必要がある」
詩人アレクサンドル・プーシキンに1826年に「王座の労働者」と呼ばれているピョートル大帝らしく、仕事への愛について言及している。「若い貴族は時計の振り子のように、快活、勤勉、精励、常に動いているべき」。努力家の貴族と召使が勤勉になれば、ロシアは発展し、反映するとの考えである。
若い貴族の男女には、真のキリスト教徒になり、聖職者を尊敬し、教会に行くよう指示している。また、誘惑には負けないよう、言っている。「淫行、賭けごと、大酒を日々避けること。ここから難事以外何ももたらされない」
若い女性に向けた部分では、結婚まで処女、禁欲を守ることがどれだけ大切かが何度も書かれている。「乱れた女子」のふるまいが、嫌悪感とともに書かれている。「どの男性とも笑い、話し、通りを走り、別の男性のところに行き、ふしだらな歌をうたう。愉快に過ごして酔っぱらい、あちこちのテーブルとベンチをまわる」。これは現代の高校のプロムを描写しているようだが、18世紀、このようにふるまうことは許されていなかった。「青年の誠実な鏡」を読む限り、一部のロシアの貴族は18世紀初めまで、テーブルマナーを得意としていなかったようだ。「真っ先に料理を取るな、豚のように食べるな。料理をすすめられたら最後に少量を取り、残りを他の人に与えよ」。禁止事項はとても多い。貴族は食事の時に指をなめたり、肉の骨にかじりついたり、口元を手でふいたり、掻いたり、音を立てながら食べたりしてはいけない。
アルコールについては、ピョートル大帝自身が若い頃ににぎやかな小宴を開いていたこともあり、完全に禁止にはしていない。礼儀を考え、「最初は拒み、それでもすすめられたら、会釈して、もらう」。大酒を飲むことは、もちろん、いけない。
同時に、鼻をこすったり、「鼻の中の鼻水をすすって、その後のみ込んだり」してはいけなかった。代わりに鼻を静かにかむよう指示している。「青年の誠実な鏡」では、「管楽器を吹いているかのごとく大きな音で鼻をかんで、小さな子どもを驚かせる」人も批判されている。
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